AGの挑戦

昭和女子のエッセイ

言いたくて、呼ばれたくて選んだ職業

私は、若かりし頃「設計士」と言いたくて、呼ばれたくて

建築を目指した過去がある。

 

「設計士」の私のイメージは

・お客様の一生に一度の夢を実現する職業

・幸せになるための一番大きな個人で買うモノ

・作品として残った建物を基本的にはいつでも見に行くことができる

という素晴らしい点と

 

・頭がよさそうに思われる

・女性で建築設計士はあまり聞かずカッコいい

・オシャレっぽい

・職場はメンズだらけ ニヤリ

動機が不純な点があった

そして、モテそうだと。

 

そこから、学校で建築を少し学び、2級建築士の資格受験の参考書を買ったところで

工務店の設計士募集の求人に応募したのだ。

 

面接は基本社長が行うのだが、その日に限り

13:00の面接を3時(15:00)と勘違いし出掛けてしまっていたそうだ。

1時間ほど待っていたが、設計部の課長が社長の代わりに面接することになった。

 

何を聞かれても「勉強中です」というフレーズ。

いつから来れるかの質問に「明日からでも」という勢いだけがあるスタイルを

貫いた。

勉強中と言えども、参考書は開いて4~5ページの建築計画という項目の

最初のページに等しかった

 

しかし、なぜか課長をクリアし、その後の社長の面接もクリアしてしまうのだ。

就活中のみなさん、「勉強中です」は使えるフレーズかもしれませんよ!!

 

そして、入社し地獄の日々が始まる。

建築用語がわからず何を言われているのか、指示すらわからないのだ。

一つ一つ言葉をノートに写しそれを見ながら、進める。

建築用語、現場用語、法律(建築基準法や市の条例)、現場の確認、作図の記号、

CADの使い方など恐ろしいほどの内容が襲ってくる。

「勉強中レベル0」の私

「勉強中レベル80」を求めていた会社とのギャップ。

今だから笑えるが、「なめたらあかん、なめたらあかん~♪」である

人生で一番、短期間で激ヤセした。

 

そこから約15年どっぷり建築につかり過ごした。

過ぎ去れば美しき日々である。

言いたいだけで就いた職業も今となっては自分の身になり

良かったと思っている。

 

しかし、比較的すぐわかったことが1つあった。

女性の「設計士」「建築業界」などはモテないのである。

私だけかな?

 

20代は友人のおかげで数多く合コンに誘っていたいただいた。

最低でも月2回、恐ろしい人数と出会ったことになる。

なのに、ほどんどモテなかった。

もしくは、同じ業種の人たちと現場の話になり

女性として見られなかったのだ。

 

しばらくしてからは合コンでは「OL」と言い続けた。

会社員だし、内勤が多い時期もあったからね。

 

なってみてわかることがある。

 

今度は『イラストレーター』『クリエイター』『アーティスト』と

言いたい、呼ばれたい。

 

シュールな作品を生み出す、勉強中レベル0の『アーティスト』より